オフセット印刷の歴史

現代では当たり前になっている印刷技術は、文化のバロメータともいわれます。印刷技術はどういう風に発展し、広まってきたのでしょうか?印刷の歴史は古く、7世紀頃にはすでに中国で木版印刷が行われていたといわれます。現存する印刷物で、制作年代がはっきりしているものは日本の「百万塔陀羅尼」で、藤原仲麻呂の乱の犠牲者を弔い鎮護国家を祈念するために770年に作成されたものです。その当時に100万巻を印刷したといわれています。

ヨーロッパの近代印刷では、1450年頃、グーテンベルグによる金属活字を使った活版(凸版)印刷技術が急速に広まりました。印刷技術の普及は、聖書の普及につながり、宗教改革などがおこる流れにつながっていきますので、印刷技術が歴史的にいかに大きな影響を与えてきたかが伺えます。

その後、オフセット印刷の基本原理となる「水」と「油」の反発を利用した石版印刷が1796年に発明されます。1853年にはイギリスでオフセット式印刷の特許が取得され、1904年にアメリカで紙へのオフセット印刷機が開発されます。

日本でも、1900年頃から活版印刷などのヨーロッパの印刷技術が次々と紹介されました。1912年頃には外国製の機械をモデルとした国産のオフセット印刷機が開発されます。
製版技術も進化を遂げ、初期に比べて品質も大きく向上しました。
その後、写真技術を応用した写真製版が発展していきます。

1950年代になると、機械の多様化高速化大型化が進み、印刷物がどんどん普及していきます。オフセット印刷の版となるべきPS版(あらかじめ感光液を塗布して、すでに焼き付けられる状態になった版材)は1949年にアメリカで発明され、1965年には日本国産のPS版が発売されます。このPS版の普及と進化は、印刷の世界においてオフセット印刷の優位性を高めていったといえるでしょう。

1980年代~90年代前半では製版作業も色調補正などもスキャナや専用のコンピュータシステムで行うなど、相当大がかりなものでした。パーツとして出てきたフィルムを切り貼りして最終のフィルムを作るなど、出版印刷・商業印刷ともに印刷物が多く出回り社会的な情報化が進む中、職人的な技術がそれを支えていました。

印刷機も現在から比べれば精度が低く、職人の勘所の要素が多く存在していた時代でした。山手線の内側に大小多くの印刷会社が存在して、誠晃印刷がある東京都新宿区(神楽坂)界隈も印刷製本業の集積地といわれ活況を呈していました。

これ以降の印刷の歴史はこちら →「オフセット印刷とデジタル化」

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